最近は小学校から英語を勉強するのがあたりまえになっています。
英語塾やイングリッシュスクールも幼児期からのコースを開講したり、小学生向けの英語のみで開講されるクラスも見受けられます。
それでも英語嫌いで受験勉強で苦しむ高校生、英語がコンプレックスで人の前で話せない大人が依然として多いのはなぜでしょうか?
その理由は、日本語を母語とする人が、第2言語としての外国語を学ぶ際にに必要な準備ができていないからだと思います。今回はこのことについて考えてみたいと思います。
母語と第2言語
母語とは一般的に、その子が育つ環境の言語とされます。帰国子女や幼少期を外国で育った人にとっては母語が2つ以上ある人もいるでしょう。
そして、母語の習得と第2言語の習得はプロセスが違うことに注目しなくてはなりません。
母語の習得はその人の言語の習得と同義になります。ことばを話すということですね。それまで聞いてきた音声インプットを今度は自分からアウトプットするということです。
それに対して、第2言語の習得は、母語を使って別の言語を習得することです。このためには母語を使って考える能力が必要になってきます。
現在の、幼少期から英語を学ぼうという流れは、母語として英語を学ぼうということなのでしょう。ここに注意すべき点があると筆者は考えます。
母語=アイデンティティ形成
母語の習得はその子のアイデンティティの形成に深くかかわっています。「私は誰か」「目の前のこの人は私ではない」「私とお母さんは別」「子どもである自分」「将来なりたい自分」…
自分と他人が別であることを知り、過去・現在・未来の自分をイメージすることができてはじめて、自我が確立します。
母語はこの段階で大きな役割を持っています。正しい論理でアイデンティティを確立できないと、アイデンティティ・クライシス(自我の危機)に陥ってしまうのです。
帰国子女のアイデンティティ・クライシスとしてよく知られているものは、「見た目はアジア系、お父さんはアメリカ人、お母さんは日本人、今は日本に住んでいる。日本語もしゃべれるけど、大事なことは英語で言ってもらったほうがわかる。日本の文化はよくわからない…」「では、いったい私って何なんだ!!??」というものですね。
まずは母語で自分と自分の周りを説明できるようになる
何もこれは帰国子女に限ったことではありません。例えば、親の期待に応えようと、親の言いつけを守り、親がやれと言ったことをこなしてきた子どもが、自立するときに自分が何者かわからず、危機に陥ってしまうことも多いと言われます。
英語に限らず、言語は「コミュニケーションツール」です。人と人が関わり、共に生きていくための道具。逆を言えば、幼少期など(ほぼ)一人の世界で生きている間は言語は必要ないと言っても過言ではありません。
そんなに急いで英語を学ぶ必要はありません。
第2言語を学ぶ前に、自分のこと、家族のことを母語で説明できるようになる必要があります。こうして自我が確立し、自分を俯瞰できるようになると、英語を学ぶ目的も自然と見えるようになってくるでしょう。それから勉強したほうが必要性を感じ、より楽しく、より効率的に身につくことでしょう。
※なお、今回は第2言語として社会で通用する外国語を学ぶ場合を想定しています。幼少期から外国語のシャワーの中で育てることによってネイティヴレベルの外国語を習得させるという考えもあります。ネイティヴというレベルが一体何なのかは議論の余地があるので、また改めてまとめようと思います。
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